とある有名ユーチューバー(グループ?)が内輪揉め→和解の経緯を動画アップしてました。
ちょっとした気遣いの足りなさや空回り(勘違い)、それが原因で見る角度が変われば悪い部分だけよく見える。
性別にかかわらず、内輪揉めとはそんなもんだ。
目立つ何かが叩かれるの方程式。
叩かれて叩かれて、磨かれるかと言えばそれは違う。 ただ平均化するだけ。
その平均から飛び出たササクレがまた叩かれる。
和解後は少なくとも本たちは心地いい。 だがたぶん、これは繰り返される。
バランスはいつまでも続くとは思わないほうがよかでしょう。
何のことかわからないでしょうがw
今日の本題とは全く関係ございません。
数年前だったかな、姪にギターをあげたのです。
テレキャスターカスタムってやつ。
テレキャスターとはフェンダー社が初めて量産したソリッドギター「エスクワイヤ」が原型で
エスクワイヤ→ブロードキャスター→テレキャスターと小変更のたびに呼び名が変わってきた。

詳しくは諸説あるので、自分が正しいと思う説を信じてくださいw
もう1社、アメリカを代表する弦楽器メーカー「ギブソン」。
レスポールが有名すぎてツラい。
そのレスポールの最廉価版という位置づけで販売されているのが「エピフォンレスポール」
エピフォンだってジョンレノンがずっと愛用してたくらい一流のメーカーだった。
しかし、製品の良し悪しとは関係なく経営者の能力やロレックスのように宣伝が天才的に上手い企業が生き残る。
言ってしまえばロレなんてクソ重いゼンマイ時計だ。 時計としてならGショックの方が100倍優れている。
そしてこの脱線癖・・・
ギブソン社が生き残りの策として、エピフォンを買収後中国のチンタオに工場を建てた。
建てたというより独占契約という方が正しいか。
そしてギブソンのノウハウで本家レスポールから大きく脱線しない廉価版を作り始めた。
そして松本隆弘やスラッシュを使ってCMに力を入れているのがここ最近の話。
チンタオで製造を始めたのにはもう一つ理由がある。
そう、コピー品対策。
元々木工工芸品などが盛んな地域だったわけだし
貿易港なので世界から木材も集めやすく、完成品を輸出しやすい。
日本のピアノメーカーがアウトソーシングしていたのもこの地域。
ギターもフォークギターが盛んだったころ、韓国かチンタオ あるいは韓国の商社がチンタオへ孫請け流ししていた。
この生産体制に横のつながりがないはずがない。
だって国営だし。 小さい工場が何件もあって、10000本単位の発注が来たら
そりゃ町中大騒ぎで仕事を分け合う。
そして組み合わせのサイズや材の選び方、手順、調整の規格など全部があっというまに盗まれる。
よく聞く話だよね。他人事ではなく、日本の企業もこれでガッツリやられた。
かくしてギブソンレスポールは「チブソンレスポール」として50分の1の価格で世界へ販売されている。
悪質なのは「Gibson」という商標をそのまま使っていること。
ジョーク商品ではずまされない、そこそこの品質でこれをやられている。
「SANYのファミコンというラジオ」とはレベルが違うのだ。
ここで「また中国人か」と思う人も多いでしょうな。
本題の最初に書いたフェンダー テレキャスターカスタム。
正確にはフェンダージャパン テレキャスターカスタムなのです。
60年代後半から80年代、ビートルズの影響でエレキブームが到来。
円が250円~360円に固定の時代。まだ豊かとはいえなかった日本の若者が本家の製品を買えるわけもなく。
木曾のや信濃の木工林業が家具や装飾品の技術でコピーあるいはへんてこりんなオリジナルを作り始める。
初期はそりゃもうひどい品質で、本家などは相手もにしていなかった。
つまり扱いは「ガキのオモチャ」程度だった。 これは作っている側も大差なかっただろう。
売れるから作る、それだけのこと。 本家が高くて買えないから買える程度のモノを作った。
どのくらいひどいかというと、売れるならってことで日立や松下 東芝までギターを作ってみたりしていた。
ここまでは平和だった。 音が鳴れば楽しかったのだろう。
ところが為替が変動制になったころ、本家は気付いてしまった。
利益に走った本家の足元どころか、ロットによっては本家をしのぐ高品質のコピーが出回り始めていた。
ここら辺が日本人の気質なんだろうけど、技を競うのが大好きなんだよね。 木工なんて大得意だし。
あっという間に「本家がなくても大丈夫」な状態。 これから日本に向けて売り込む時代だったのに・・・
さらに、フェンダー社の主力商品ストラトキャスターの意匠登録と特許の裁判で
「もう今さらなんじゃね?ギターの一般的な形ってことでOK]という判決。
焦ったフェンダー社は急遽フェンダーコピーの大手「神○商会」にフェンダージャパンの称号を与え

品質の維持を目的という苦しい主張でにライセンス生産を開始する。
チンタオギブソンと同じだね。
俺がガキの頃、日本=猿まねと言われていたのを覚えている。
車のデザインなんて、アメ車からパクッたものばかりだったし

アメリカで流行したという情報があれば次の月にはそっくり商品が出回っていた。
褒められるとしたら、すぐにやるというバイタリティーだけだ。
そしてそのバイタリティーは近年の中国そのものだよね。
中国や韓国からしてみれば「日本よ お前だけには言われたくない」だろう。
脱法的判決で「コピーじゃない」と言われてしまった本家の名品たちは
今でも日本に大量に作られ「ジャパンクオリティー」とか言っちゃってるコピーにデザインを侵害され続けている。
にもかかわらず日本はいつのまにか「こっち側」に立って被害者のような立ち振る舞いだ。
時代が違うなんていわせねぇ。 時代の進み方なんてそれぞれの文化で違うのだ。
いつも誰かが叩かれる。
次はベトナムかインドかアフリカか。
一歩踏み出して、目立つやつが叩かれる。
今のバランスは続かない、それを忘れないほうがよかでしょう。
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- 2017/11/26(日) 00:26:24|
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10年くらい前かな。
自分の先祖について調べたことがあって、戸籍は江戸時代まで遡れることに驚いたり
墓を守る寺には家系図が残されている場合が多いとか、意外なことが多かった。
結果として、父方の祖母家系は海賊(水軍)の末裔であろう(確証までには至っていない)こと。
母方の祖父は水戸藩の刀鍛冶と宮大工。祖母は栃木の造り酒屋(知ってはいたのだが昭和になってからの水害で廃業)
肝心の父方祖父の家系。the農家w もっと言えば小作人家系でございました。
誇り高き水軍の血が注がれようが、藩主お抱えの匠のDNAだろうが、農家の血は濃く
三男だったおじいちゃんは土地ももらえず、軍隊に志願。 満州で2回撃たれ
程よく昇進していたせいで戦後は職に就くことができず、大変な苦労をした模様。
さて、本題です。
大阪市の吉村洋文市長がサンフランシスコ市との姉妹都市解消も辞さない意向。
うん、いつまでも黙っていられないもんね。
慰安婦像を公物化することで慰安婦に対する日本側の主張は無視されたことになる。
まずはサンフランシスコ市側が独自の調査くらいしてもいいはずだ。
少なくとも日本は事実は事実として賠償や謝罪を複数回行ってきた。
これで全面解決と握手をした後からも、「誠意が・・・」とか「金額が・・・」とか理不尽なゴネに対しても対応してきた。
個別の調査も韓国側の主張を飲んできた。日本側の調査では日本軍が関与した「強制」に対して
その事実は有り、戦争当時関与した軍人を処刑し、その後厳正に給与や健康の管理などが行われた。
つまり、希望者が職業として慰安婦という売春を合法的に行えるよう軍が管理していた。
ココまでが日本の主張。
韓国側の主張は進化を続け、おかっぱの少女が鉄枷で繋がれ「逆らえば親兄弟を殺す」と脅され
性奴隷のごとく毎晩犯され続けたと。
本来なら国際法廷でちゃんと争うべきなんだが、韓国側は拒否している。
国連も乗り気ではない。 ベトナム戦争や朝鮮戦争のときに何があったか掘り返したくないからね。
話を戻します。
サンフランシスコ市がどれだけ聖なる街なのか知りませんが
歴史をたどると元はオローニ族の居住地。
居住地と表現したのはネイティブアメリカンは土地に対する所有権などと言う感覚は持っていなかったから
「船で来た人たちよ、お前らもここで暮らすのか?よろしくな」くらいな感覚だったに違いない。
そして自分たちに都合の良い「
宗教」を植え付け、
伝染病を持ち込みメキシコとの
戦争にも巻き込み
その後牧場の労働者として半奴隷化、現在は保護という名の隔離で黙らせ
砂漠のハイウエーの土産物屋をしている。
彼らの6000年にも及ぶ平和を奪い去った歴史など教科書には書いてないでしょ?。さあサンフランシスコよ、慰安婦像を建てたまえ。
そして、そのとなりにオローニ族の像も建てやがれと私は思うのでございます。
ココまで書くと大阪市の吉村洋文市長を全面的に肯定しているようですが・・・
市長という立場でこの発言、とりわけ公の場でかます言葉ではない。
市長は「市政という行政」のトップです。
サンフランシスコには日系企業も進出しています。
これも経済を含んだ策略というならご立派。なかなかの策士だ。
感情でやっちまったなら「やっぱりタダの大阪のおっさん」だな。


- 2017/11/14(火) 21:05:28|
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