10年くらい前かな。
自分の先祖について調べたことがあって、戸籍は江戸時代まで遡れることに驚いたり
墓を守る寺には家系図が残されている場合が多いとか、意外なことが多かった。
結果として、父方の祖母家系は海賊(水軍)の末裔であろう(確証までには至っていない)こと。
母方の祖父は水戸藩の刀鍛冶と宮大工。祖母は栃木の造り酒屋(知ってはいたのだが昭和になってからの水害で廃業)
肝心の父方祖父の家系。the農家w もっと言えば小作人家系でございました。
誇り高き水軍の血が注がれようが、藩主お抱えの匠のDNAだろうが、農家の血は濃く
三男だったおじいちゃんは土地ももらえず、軍隊に志願。 満州で2回撃たれ
程よく昇進していたせいで戦後は職に就くことができず、大変な苦労をした模様。
さて、本題です。
大阪市の吉村洋文市長がサンフランシスコ市との姉妹都市解消も辞さない意向。
うん、いつまでも黙っていられないもんね。
慰安婦像を公物化することで慰安婦に対する日本側の主張は無視されたことになる。
まずはサンフランシスコ市側が独自の調査くらいしてもいいはずだ。
少なくとも日本は事実は事実として賠償や謝罪を複数回行ってきた。
これで全面解決と握手をした後からも、「誠意が・・・」とか「金額が・・・」とか理不尽なゴネに対しても対応してきた。
個別の調査も韓国側の主張を飲んできた。日本側の調査では日本軍が関与した「強制」に対して
その事実は有り、戦争当時関与した軍人を処刑し、その後厳正に給与や健康の管理などが行われた。
つまり、希望者が職業として慰安婦という売春を合法的に行えるよう軍が管理していた。
ココまでが日本の主張。
韓国側の主張は進化を続け、おかっぱの少女が鉄枷で繋がれ「逆らえば親兄弟を殺す」と脅され
性奴隷のごとく毎晩犯され続けたと。
本来なら国際法廷でちゃんと争うべきなんだが、韓国側は拒否している。
国連も乗り気ではない。 ベトナム戦争や朝鮮戦争のときに何があったか掘り返したくないからね。
話を戻します。
サンフランシスコ市がどれだけ聖なる街なのか知りませんが
歴史をたどると元はオローニ族の居住地。
居住地と表現したのはネイティブアメリカンは土地に対する所有権などと言う感覚は持っていなかったから
「船で来た人たちよ、お前らもここで暮らすのか?よろしくな」くらいな感覚だったに違いない。
そして自分たちに都合の良い「
宗教」を植え付け、
伝染病を持ち込みメキシコとの
戦争にも巻き込み
その後牧場の労働者として半奴隷化、現在は保護という名の隔離で黙らせ
砂漠のハイウエーの土産物屋をしている。
彼らの6000年にも及ぶ平和を奪い去った歴史など教科書には書いてないでしょ?。さあサンフランシスコよ、慰安婦像を建てたまえ。
そして、そのとなりにオローニ族の像も建てやがれと私は思うのでございます。
ココまで書くと大阪市の吉村洋文市長を全面的に肯定しているようですが・・・
市長という立場でこの発言、とりわけ公の場でかます言葉ではない。
市長は「市政という行政」のトップです。
サンフランシスコには日系企業も進出しています。
これも経済を含んだ策略というならご立派。なかなかの策士だ。
感情でやっちまったなら「やっぱりタダの大阪のおっさん」だな。
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- 2017/11/14(火) 21:05:28|
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