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穴掘って吠えるでござる

思っていることを適当に書き溜めして、1年後に恥ずかしい思いをするためのブログである。

れてであわ

「濡れ手で粟」 濡れた手で粟をつかめば粟粒がたくさんついてくるように、ほねをおらずに多くの利益を得ること。やすやすと金もうけをすること。
なんてことを申しますが。。。 最近の子に粟と言っても「なにそれ」。 ほらインコの餌になるあれだよと言っても、
最近じゃインコを飼うなんて流行じゃない。 そういえば子供のころ、近所のお年寄りはもれなく鳥類を飼ってたなぁなんて想いを馳せる。


このくらいじゃ身元はバレないので書きますが、私の先祖は松浦家。

松浦党とか松浦水軍のアレ。 源氏ともゆかりがある。

このように書くと、さぞ由緒正しい良家のお坊ちゃま風だが。。。  

松浦の血を引くのは父方の祖母一族。 そして、どこから見ても農家一族だ。

本家と別れた一部のグループが船に乗りたどり着いたのは、関東 某地。

その地で半農半漁の営みを始める。 今から1000年も前の話だ。


ある街道沿いは松浦家だらけ。 本家と呼ばれる家もそこにある。

大きな家の裏には小高く長細い丘。

丘の北東側は墓地で、古い墓になればなるほど高い位置にある。

南西側は畑になっている。


事件はこの畑で起こることになる。


畑には2か所 2×1メートルくらいの長細い穴が掘ってあり、大き目の石で土止めをして

そこに雑草やごみなどを放り込んで焼いていた。 

実はこの穴 誰が掘ったのか誰も知らない。

そしてある日、市役所の人と筑波大学の人が一緒に、史跡調査させてほしいと訪ねてくる。

そしてついに穴の正体が判明することになる。  そう、それは石棺だったw

さらに北東にあった墓は山頂付近が一番古いと思われていたのが、実は尾根沿いに反対側まで続き

発覚した石棺が一番古いことがわかった。

さらに調査が進むと、石棺の底の土を掘り返すと、金の装飾をされた直刀やヒスイの勾玉まで発見された。

時代は推定西暦500年頃。厩戸皇子 いわゆる聖徳太子より前であろうとのこと。


ここで疑問が発生。 松浦家は約1000年前にこの地へたどり着いた。

石棺の主は1500年前。

松浦とは関係のない墓なのだ。

しかし尾根をたどって反対側に行けば松浦家の墓。

まつうら

ココからは大学の偉い先生の見解。

墓の主は土着の豪族。 あとから来た松浦家が比較的狭い地域に集中していることから、衝突はなく

この地に受け入れられた可能性が高い。 豪族との婚姻などは不明だが、丘は墓所として受け継がれ南西から北東へたどり着き

今の形になったと思われる。

お宝である直刀と勾玉は 大学と市からクレクレ攻撃にあったそうだが、丁重にお断りして無事松浦家の元へ戻ってきた。

まあ直刀とはいっても、素人から見ればただの酸化物。つまり朽ち果てて土に帰る寸前なんだけどねw

他の墓も掘り返せばそれなりのものが出てくるのだろうが、そこはロマンということでw

濡れ手で粟とはいかないのが現実ということでございます。


そんなことより墓をゴミ焼穴に使ってたという大失態ws21.jpg


本家のおじさんはその後、スクーターでスっ転んで足を骨折。 しきりに「祟りだ」なんて言ってましたが

いまさら祟りもクソもないと誰にも相手にされず。

祖母も父も死んだ今ではすっかり疎遠になり、今となっては誰を訪ねて行けばいいかもわからず、

このまま縁が切れてしまうんだろうな、なんて思うとちょっとさびしい。




ちなみに勾玉の価値は、誰のものなのか歴史的根拠がはっきりしている場合を除き高くても20万程度。
直刀は金の装飾の部分だけグラムいくらという感じ。 あとは学術的な価値がある場合もある程度。
要するに誰の墓なのかわからないので、宝石貴金属の価値以上にはならない。 だって。

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  1. 2019/01/28(月) 04:48:39|
  2. 何様語録
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:10
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コメント

松浦党は、もともと九州と朝鮮半島とのあいだの海で活躍していた海民?

松浦党って、長崎のほうで活躍していた海の豪族でしょ?
安徳天皇を守って、義経と戦った「海賊」。

海民は、3000年以上も前から黒潮に乗って海を自由に航行し、コメや鉄の文化を房総や鹿島・香取に、ってそんなことNHKで見たような、、、。
その後もずっと交流が続き、1000年くらい前に大勢の方々がやってきた、ということで、つまり松浦の血は脈々と?
朝鮮半島にも

大豪族ですものね。
  1. 2019/01/28(月) 20:18:47 |
  2. URL |
  3. Mrs.PIE #vDT9Vm1A
  4. [ 編集 ]

そうです。長崎や佐賀あたりが起源の海賊です。
日本中 主に太平洋側の東北地方まで航海方や船づくりを伝えながら拡散していったようです。
なので静岡あたりにも松浦姓は多いようです。 うちの家系は霞ヶ浦がまだ湾とも湖ともいえないような時代にたどり着いた一派のようで、房総に広まった一派とは近い関係であろうと思われます。 まあ入口は共通の銚子ということになりますからね。
とはいえw 航空写真でもわかるように、いまではすっかり農家です。戦前は漁業もやっていたようですが、霞ヶ浦の汚染も進み、外海に出るような船舶の製造技術もとっくに途絶え言葉もコテコテの茨城弁。 海賊の「か」の時も感じさせません。
松浦家の古い墓を掘り起こせば勇猛だったころの形跡も出土するかもしれませんが、実際のところ誰も興味を示さず、調査される予定は今後もないままでしょう。 末裔の現実とはこんなもんなんでございますw
  1. 2019/01/28(月) 21:14:27 |
  2. URL |
  3. いえねこ #-
  4. [ 編集 ]

誇り高き海賊の矜持を!

 誰にも従わず
 誰をも拘束せず
風任せ潮任せの日々

海民の血は、イエネコさまの身体の奥、心の底に脈々と!

ご先祖様は、夜、北極星や北斗七星を見て航海を
そのまま太平洋に漕ぎ出していった、勇敢なご先祖様もいらっしゃったのでは?

逞しく生き抜いたご先祖様に感謝しつつ、
どうぞ、明日がよい日でありますように!
  1. 2019/01/29(火) 20:23:56 |
  2. URL |
  3. Mrs.PIE #vDT9Vm1A
  4. [ 編集 ]

Mrs.PIE様

現実はそんなにカッコいいモノじゃないと思いますよw
仲間割れとか、敵前逃亡とかいいかげん陸地で生活したくなったとか、あるいは漂流しちゃただけとかw
勝手に松浦を名乗った可能性だってありますしね。
とにかくこの地域は古墳が多く、件の丘は掘割などもあることから城跡とも言われていて、言い伝えでは「羽成監物(はなりけんもつ)」という城主がいたようですが、これが誰なのかもわかっていません。羽成監物と松浦の関係性もまったくわかりません。
  1. 2019/01/29(火) 21:38:14 |
  2. URL |
  3. いえねこ #-
  4. [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2019/01/29(火) 23:53:39 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

鍵コメ KG様

以前私が調べた範囲ですと、研究していたのは理化学研究所 ワカメスープのリケンでした。 かの兵器に関しては爆縮レンズ型とかいろいろな法式があるので、複数個所で研究れていても何の不思議もありませんね。というか複数じゃなきゃ時期的に間に合わないはずですからね。山下財宝もM資金も鉱石買い付けに流用された可能性は高いでしょう。その日のために洞窟に埋められ、秘密の金庫に隠され。。。 一部はわざと見つかるように囮として海に投げ入れられたという推理も成り立ちます。皇居内堀の水はなぜ抜かないのか?とかねw 
T社にしてもM重工にしても現在でも武器メーカーのままですし、秘匿される技術や履歴は山ほどあるでしょう。

ちゃり探検シリーズの復活 心待ちにしておりますw
  1. 2019/01/30(水) 02:19:26 |
  2. URL |
  3. いえねこ #-
  4. [ 編集 ]

穴を掘るのは大変

先祖を辿るのは面白そうですね!
楽しく拝読しました。


にしても、大事なものもいらないものも穴を掘って埋める、という人間の習性が面白いですね。

中学生のころ、この出土品はこの年代の地層から出土したからこれはその時代のもの、と先生が言うのを聞いて、そんなんふかーい穴を掘って埋めて捨てたかもしれないでしょ。ってことは、古い地層まで掘って埋めてるわけで、だったらその出土品はもっと新しい時代のもんかもしらんでしょ・・と疑問に思ったものです。
勉強が嫌いだったので、疑問は疑問のままにほったらかしにして今日まできてしまいましたが。

と、書き終わってからそんなん炭素なんちゃらで確認してるだろタコ!と思いましたが、炭素ナンチャラも知ったかぶりしてるだけなのでこのままいきますw
  1. 2019/01/31(木) 13:22:15 |
  2. URL |
  3. ROM #RS4k0RpE
  4. [ 編集 ]

ROM 様

役所に行くと驚くのが江戸時代まで戸籍は遡れることです。
そこから先となるとお寺の記録とか開頓の記録とかに頼ることになります。
深い穴w 確かにそうですね。 掘る気になれば石器時代でも可能ですw 可能性としては貝塚などが穴を掘ってゴミを投げ入れてるわけですから、単独ならば推定不能になるかもしれませんね。 ただ、たぶん周囲には住居跡とかいろいろあって、その様式なども加味して年代を推測するでしょうから、ある程度発掘が進めば精度も高まるかとw
でもですね、有名な遺跡でも何度か年代の訂正が行われることもあるので、あながち深い穴を掘った説も捨てたもんじゃありません。
  1. 2019/01/31(木) 18:23:15 |
  2. URL |
  3. いえねこ #-
  4. [ 編集 ]

誰もが、ルーツは九州の豪族か?

♪ あんたがさどこさ肥後さひごどこさ熊本さくまもとどこさ
千馬さ仙波山には狸が居ってさ それを猟師が鉄砲で撃ってさ焼いてさ食ってさ
ひってさ、それを木の葉でちよいとお隠し・・・あはは


この蹴鞠唄を憶えたのは四歳の頃だったとか、一度でおぼえたおいらを
源爺いは大層褒めたのだとか


家人はルーツを辿りあの『水軍』にまでは行き着いたそうです
おいらの方は「落ちゆく先は九州・・」まではいけました


あとはめんどちぃので(面倒くさいので)やめました・・・あはは





  1. 2019/02/02(土) 15:05:05 |
  2. URL |
  3. ハシビリコウ・うな #-
  4. [ 編集 ]

うな様

もしかして、比較的近い親戚だったりしてw ちなみに父方は老いた佐々木小次郎を弟子と一緒に袋叩きにした二刀流のあの人と同じ苗字。こちらは残念ながら全く関係ないことがわかってます。

手毬歌の最後の部分。木の葉で隠したのは食べなかった部位のことなのでしょうかね?
だとしたら毛皮や骨 内臓など殺害の証拠を埋めたということをせっかく隠したのに歌にして自白しているということですかねw
  1. 2019/02/03(日) 20:34:46 |
  2. URL |
  3. いえねこ #-
  4. [ 編集 ]

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